第十話
- 友 達 -
リラを家に送り届け、暗くなった通りを影を並べて歩く。
ジンの半歩後ろを歩くのは、赤茶の髪が綺麗な少女、アンナ。
彼女は視線を落とし、足元に敷き詰められた石畳を、規則的なリズムで踏んで行く。
アンナは喋らない。
リラが一緒にいた時には、こちらが驚くほど話し、笑い声を上げていたが、リラと分かれてジンと二人きりになった今、アンナはまだ一言も発していない。
どこか気まずそうに下を向き、決してジンと目を合わせようとしないのだ。
「今日は珍しく街へ出て来たんですね」
どこか居心地の悪い空気に耐え切れず、ジンはアンナに声をかけた。
視界の端で、彼女は驚いたように肩を振るわせる。
「あ、はい。お休みを頂いたものですから」
「そうですか」
ジンの相槌に頷くと、アンナはまた下を向いて黙ってしまう。
……困ったものだ。
アンナに気付かれないよう、ジンはそっと息を吐いた。
元々無口な方だったが、ここまで気まずくなる事は、今までになかったはずだ。
何がどうして、こうなってしまったのか。
歩きながら考えている内に、ジンは不安になってきた。
「あの……私、何かしましたか?」
「え?」
ジンの問いかけに、アンナは弾かれたように顔を上げた。
頭上にいくつも疑問符を浮かべて、首を傾げている。
「アンナの雰囲気がいつもと違うので、何か悪い事でもしてしまったのかと思ったのですが……違いますか?」
眉を僅かにひそめて覗き込むと、アンナはサッと顔色を変えて、ブンブンと首を振った。
「違いますっ! 私はただ、その……ちょっと、疲れてしまっただけで」
「本当ですか?」
「……はい」
言われてみれば確かに、アンナの目はとろんとして眠たそうだし、声も少しぼやけているように聞こえる。
子供じゃあるまいし、そこまで疲れるとは何があったのだろう。
アンナが訪ねてきて喜んだリラが、彼女を連れまわして遊んだのだろうか。
色々な可能性を考えるジンを知ってか、アンナが眠たそうな声で話し出す。
「リラさんが人波に飲まれたので、それを助けたり……リラさんの幼馴染にも会いました」
「そうですか」
ふふ、と笑いながら話すアンナに相槌を打ちながら、ジンは耳を傾ける。
「先程もお話しましたけど、人込みから生還したリラさんは、本当に可笑しかったですわ」
「ああ」と声を上げて、ジンはさっきの二人のやり取りを思い出した。
「王子にもお見せしたかったです」
悪戯っ子のような顔だ。
いつの間にか真横に並んだアンナの横顔を眺めて、ジンはそう思った。
「リラさんと一緒にいると、時間を忘れますね」
深い青色に染まった空を見上げ、アンナはジンの一歩前を歩き出した。
「アンナも分かるようになりましたか」
彼女を追いかけて隣に並ぶと、ジンも上に目を向けた。
そこではキラキラと小さな光が瞬いて、細い光を街に振り撒いている。
「私、さっきまでリラさんの事が嫌いでした。突然現れて、王子と付き合っていると告げられて……私だけではなく、皆が不満に思っていました」
皆と言うのは、アンナが普段仲良くしているメイド達の事だろう。そう解釈する事にして、ジンは耳を傾ける。
「でも今日、初めてリラさんとまともにお会いして、お話して……そうしている内に、段々とリラさんとの時間を楽しんでいる自分がいる事に気付きました」
アンナが急に立ち止まり、追い越してしまった彼女を視界にとらえようと、ジンは振り向く。
と、彼女は今までで一番元気な声で、ジンに向けて宣言した。
「私、リラさんとお友達になります。そして、お城の皆さんにも、リラさんの事を理解して頂けるように働かせて頂きます!」
足を肩幅に開いて踏ん張り、両手を握り締めているアンナを見て、ジンはそれを選手宣誓のようだと思った。
暗い中でも、街灯に照らされて仄かに浮かび上がる、紅潮した頬。傍目から見ても分かるほど、力が入っている手、肩。
こんなアンナは、初めて見た。
……興奮しているのだろうか。
見た事のないものだったので、記憶に残っている他の人と比べなければならなかったが、確かに彼女は興奮しているようだった。息が荒い。
ジンはフッと口元を緩ませ、ついでに歯も見せる。
「アンナがリラと友達になるのなら、俺とも友達だね」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げ、アンナが固まる。
胸の前で拳を作り、足は踏ん張ったまま。
そのくせ顔は呆けているのだから、今のアンナの間抜けさと言ったら……
「ふふっ」
「え?」
笑わずにいられる訳がない。
アンナはどうして笑われているのか分かっていないらしく、困惑した様子でこちらを見ている。
「あの、王子……?」
「変な顔」
「!」
指差しして指摘すると、アンナはパッと顔を隠す。
しかし、手の下ではまだ呆け顔が治っていないらしい。
指の隙間から覗く目が、なおも疑問を訴えかけてくる。
「俺が友達を作る事が、そんなに可笑しいかな?」
「まさか!」
咄嗟に言い返してから、アンナは口元を押さえた。
それから、そろりそろりとジンに目を向けて、チラリと視線を合わせた。
驚いているのだ。初めて、ジンが友達口調で彼女に話し掛けたのだから。
「男の友達はいるよ、城の中にも外にも。……少しだけどね。でも、女の子の友達は一人もいない」
城の中に女は沢山いる。それも、老いも若きも問わず。
しかし、その中に友と呼べる者は、たったの一人もいないのだ。
「今まではそれでも良かった。
でも、今はリラがいる。彼女と会ってから、女性に相談したい事が山ほど増えたと言うのに、母は忙しいし、他に信用できる相手もいない。弟じゃ頼りにならない上に、無責任な事を言う。
……勝手な事かもしれないけれど、アンナには俺の相談相手になって欲しいんだよ。女の子にしか分からないこともあるだろうし、ね」
最後の「ね」で、ジンの青い目がアンナに向けられる。
彼女の瞳を探るように覗き込むと、アンナは微かな戸惑いを見せた後、ゆっくりと瞬いた。
「……それでは私は、女友達第一号という事になりますね?」
息を吸い、瞼を上げたのとほぼ同時に発せられた言葉に、ジンは思わず声を上げた。
「本当に?」
「あなたが仰ったのではありませんか」
少し怪訝そうなアンナに、ジンは気の抜けた声と苦笑を返した。
「ゴメン、あんまりに嬉しくて」
あははと乾いた笑い声を上げつつ頭を掻くジンに、アンナが笑みを返す。
「私、王子のこういうお顔は初めて見ました」
「え、そう?」
笑うのを止めて問い掛けると、アンナは頷いた。
「いつも微笑んでいらっしゃいましたけど……それはお人形のようで」
これはリラと会って初めて気付いたのだけれど、とアンナは話す。
「今思えば、あの微笑みは営業スマイルだったのですね」
仕事用の笑顔。確かに、“王子”の時と、それ以外の時では使う筋肉が違う。
今ここで、アンナの言う“営業スマイル”をしてみると、その違いがよく分かる。
「私は今のお顔の方が好きですよ」
人間らしくて。
たたたっとジンの横を駆け抜けながら、アンナが呟いた。
彼女を追って振り向けば、城の門がすぐそこに。
今まで、門の真前で立ち話をしていたのだ。
「アンナ!」
アンナの後を追って門を潜り声を張り上げると、呼ばれた少女は艶やかな髪を翻して振り向いた。
「ありがとう!」
「こちらこそ、ありがとうございます!」
アンナは大きく首を振ると、ジンと同じように声を上げた。
一体何をしたのか、ジンに心当たりはないが、とりあえず手を振った。
彼女はそれに答えるように一礼して、また走り出す。
何をそんなに急いでいるのだろうと手元の時計を見れば、メイド寮の門限が迫っている事に気が付いた。
「それくらい、俺が話を付けてあげるのに」
どこまでも真面目な彼女の背に、ジンは小さく笑った。
それに気付く事なく、アンナの後姿が見えなくなった。
・・NEXT‥