大通りから少しだけ外れた所に、その店は存在していた。
大人しい色合いの看板は、アンナの目線よりわずかに低い位置に取り付けられていて、あまり目立たないようになっている。
この道は何度か通っているが、喫茶店がある事は知らなかった。
暗い色のドアは、その辺りの民家と比べてみても、変わった所は何もない普通のドア。
外装に喫茶店らしい所は何もなく、看板がなければ、近所に住んでいる人でも、この店の存在を知る事できないだろう。
この店の前で、リラは立ち止まった。そして、ドアノブに手をかけると、ゆっくりと腕を引く。
ギィ、と音を立てながら、木製のドアは口を開けて二人を迎え入れる。
薄暗い店内は、明るい外から足を踏み入れると目隠しをされたように何も見えなくなる。
暫く立ち止まっている内に、少しずつ闇に目が慣れてくる。そしてようやく、店内の様子が少しずつハッキリ見えるようになってきた。
店の中は、決して真っ暗ではなく、オレンジ色の灯りが所々に点されていた。
ランプだ。大小様々なランプが、店内のいたる所に置かれているのだ。
「いらっしゃいませ」
店の奥から、若い男性店員が出て来て、二人を一番奥のテーブルへと誘導した。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼び下さい」
店員は一礼すると、テーブルから離れて行った。
彼を見送ってからリラに目をやると、彼女は小さく笑った。
「綺麗な人が来たから、緊張しているんですよ」
「お知り合いなんですか?」
訊ねると、リラはテーブルの隅に置かれたメニュー表を引き寄せながら頷いた。
「彼の実家が、家の近所なんです。小さい頃はよく、一緒に遊んでもらってました」
懐かしむように、リラは彼が消えて行った方を見る。
奥からは、陶器がぶつかるような音が聞こえるから、カップでも磨いているのだろう。
「まあ、そんな事より……アンナさん、どうしますか?」
リラは遠くにやっていた目線を瞬時に戻し、透明なフィルムで保護されたメニュー表をアンナに向けた。
白い紙に書かれた文字は、どこの喫茶店に行っても目にする事ができる物ばかり。目新しい物は何もない。
このように風変わりな店なのだから、メニューにも凝っている物があると思っていたアンナは、内心がっかりした。
「……では、ケーキセット」
答えた声は、少しトーンが低かった。あっと思ったが、リラは特に気にする様子もなく、声を張り上げて先程二人を出迎えた店員を呼んだ。
「お願いしまーす!」
注文してから、リラはずっと喋り続けていた。家族の事、友達の事、さっきの男性店員の事……。
何でも話したが、ジンの事は何も言わない。――気を使っているのだろうか。
それにしても元気だ。ほとんど初対面の彼女を前にしても笑顔を絶やさないリラに、アンナは思わず感心した。
リラがいるだけで、この暗い店が二倍も三倍も明るくなったように感じる。
「お前うるさい」
二人分のお茶とケーキを置きながら、店員は呆れた様子で息を吐いた。それからアンナに目をやると、やや困惑した様子で訊ねた。
「……友達?」
「そんな感じ」
詳しく話そうとしないリラに、店員は少し眉をひそめた。それを目敏く見付けたリラは、彼の腕を突付いて睨む。
「お客さんがいるんだから、愛想良くしてなきゃ駄目じゃない」
「この顔は元からだ。……えーと、いつもリラがお世話になってます」
怒ったような口調でリラに返したが、次いで放たれた声はいたって柔らかいものだった。
「俺はリラの幼馴染で、ソウと言います」
「あ、わたくしは、アンナと申します」
相手につられて自己紹介したアンナに微笑みかけて、ソウは軽くなったトレイを脇に挟んだ。
「少しうるさいけど、悪い奴じゃないから。これからも仲良くしてやって」
今だって別に、仲が良い訳ではないのだけれど。
そう思ったが、アンナは口に出さずに曖昧な笑みをソウに返した。
「それでは、ごゆっくり」
アンナの笑みを見ると、ソウは深々と頭を下げ、店の奥へ戻って行った。
‥NEXT‥
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