「こんにちは」
リラがいつものように八百屋で働いていると、声をかけられた。
(お客さんだわ)そう思って、リラは何の疑問も持たずに作業する手を止めて振り返った。そしていつもお客にするように笑おうとしたが、そこにいる人を見て、リラは思わず目を丸くした。
「こんにちは、先日はどうも」
リラはとりあえず笑顔を作り挨拶を返したが、驚いて跳ね上がった心臓はまだ治まらない。それくらい、意外なお客だったのだ。
黒のワンピースに身を包んだ、濃茶の髪が美しい少女。その顔に、リラは見覚えがある。昨日、城で会った愛想の悪いメイドだ。
「今日はどうされたんですか?」
「ちょうど近くまで来たので、ついでに」
リラの問いに無愛想に答えながら、彼女は店頭に並べられた色取り取りの果物を眺めた。それから、赤い実を三つ買うと、リラに目を戻して言った。
「これから時間ありますか?」
「今からですか? ……ええ、今日はもうすぐ終わりの予定でしたから」
少し考えてから答えると、メイドは口の端を少し上げて人形のように微笑んだ。
「それでしたら、一緒にお茶でもいかがですか?」
上品な、しかし冷たい笑顔に、リラは一瞬身を凍りつかせた。しかしそれを相手に悟られては失礼になると考えて、あくまでも笑顔を返して答えた。
「ええ、喜んで」
ジン王子の彼女という人は、常ににこにこしていた。それが自然なものなのか、作られたものなのかと言うと、アンナは後者だと思う。
何故なら、アンナが彼女を茶に誘った時、リラは一瞬身を強張らせたのだ。その後すぐに、表情は元に戻ったがどことなくぎこちなかった。
(この人のどこが良いのかしら……)
隣を歩くリラを横目で見て、アンナは考えた。
容姿は、確かに可愛い。しかも、あのように笑いかけられたら、ジン王子でなくとも悪い気はしない。
「あの……」
突然リラが話し掛けてきて、アンナは慌てて視線を前に戻した。それから、改めて隣に目を向けた。
「何ですか?」
「お名前、教えて頂けますか?」
そういえば、まだ名前も教えていなかった。自分はリラの事を、王子から聞いて知っていたから忘れていた。
「あ、私はリラと言います」
アンナが思い出していると、先にリラが自分の名前を述べた。
「わたくしは、アンナです」
「アンナさん、アンナさん、アンナさん……」
短く告げると、リラは確かめるように何度かアンナの名前を繰り返し呟いた。それからパッと目を輝かせるとこちらを向いた。
「覚えました、アンナさん」
無邪気に笑って喜ぶリラを見ていると、アンナが彼女を快く思っていない事が段々ばかばかしく思えてくる。
不意に気を緩めて、口元が綻びそうになるのに気付くと、アンナは慌てて表情を引き締める。
そして揺れる心を必死に抑え、自分はリラが嫌いなのだと一心に唱え続けた。
‥NEXT‥
PR