今のは一体、何だったのだろう。
アンナは暗くなった道上で、一人立ち尽くしていた。
ジン王子が彼女を送って来ると言って城を出た時、アンナはこっそり後をついて行った。あのジン王子が、本当にリラという人を好いているのか確かめるためだ。
他のメイド達から頼まれた事もあったが、半分は自分のためだった。ジン王子は、城に勤める多くの女達に人気がある。美しい容姿と、優しい性格がその秘密だ。そのため、ジン王子を密かに慕っている人も多く、アンナもその内の一人だった。
だから、王子が自らリラに口付けたという光景は、眩暈を覚えるほどの衝撃をアンナに与えた。
「嘘でしょう……?」
じわりと湧き上がって来るものに気付き、アンナは両手で顔を覆った。
今のは見間違いだ。そう言い聞かせようとしても、動揺と涙を落ち着かせる事はできなかった。
涙が止まってからも、アンナは暫くの間その場を動かずにいた。何となく、城に戻る気分になれずにいたのだ。
道の隅にある木のベンチに腰を降ろし、街灯が照らし出すレンガの隙間を迷路のように目で辿っていると、その先の行き止まりに誰かの靴が迫っていた。
「まだここにいたんですか」
聞き覚えのある声は、今のアンナには冷たいもののように聞こえた。恐る恐る顔を上げれば、そこには予想した通りの青い目が彼女を見下ろしていた。
「王子……」
アンナは余程、情けない顔をしていたに違いない。厳しい面持ちだったジン王子が、ほんの少しだけ表情を和らげた。
「あなた達が、リラを快く思っていない事は分かっているつもりです。私が何を言ったとしても、彼女を深く知らずに受け入れる事は困難でしょう。でも……」
そこまで言って、王子は自分が辿った道を振り返った。この道の向こうに、リラの家があるのだ。
「私はあの娘が好きです。だから今回連れて来た。あなた達に彼女の事を知って欲しかったから……」
本当は、あの席にあなた達もいて欲しかった。ジン王子はそう言って、残念そうに微笑んだ。
こんな顔をする王子を、アンナは知らない。
笑う事はあっても、それは表面だけのもので、心から出た表情はほとんど見た事がなかった。その事に、アンナはたった今気が付いた。
それと同時に、諦めと、胸に疼く悲しいような寂しいような、傷口によく似た感覚を覚えた。
「王子……わたくしは、何をすれば良いのでしょう?」
無意識に零れた問いに、アンナは自分で驚いた。だが、ジン王子は特に驚いた様子もなく、顔に僅かに残っていた厳しさを全て取り除いて微笑んだ。
「リラを知って下さい。無理にとは言わないけれど、できるなら友達に……好きになって欲しい」
リラを好きに――。今のアンナにとって、ハードルの高い要望だ。しかし、彼女は気が付いた時には頷いていた。
「分かりました。努力致します」
アンナの答えに、ジンは嬉しそうに笑った。その顔を見た瞬間、リラの内で疼いていた傷口が、いくらか塞がったように感じた。
‥NEXT‥
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